それぞれの写真に説明をつけていますので、そちらもぜひご覧ください。
消えてしまった説明を付け直しました。(2009.9.27 亀田)
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『久高オデッセイ第二部「生章」』上映会+楽しい世直しシンポジウム
大重潤一郎氏
島薗進氏
阿部珠理氏
鎌田東二氏
佐藤壮広氏
井村君江氏2009年3月7日(土)は、東京自由大学が東京大学を占拠した記念すべき日となった。と書けば、革命かクーデターでも起こったような雰囲気であるが、具体的にいえば、設立満10年を迎えた東京自由大学が(ここ4年余りはNPO法人東京自由大学)東京大学理学部の小柴ホールを借りて、「NPO法人東京自由大学設立10周年記念特別行事~『久高オデッセイ第二部「生章」』上映会+楽しい世直しシンポジウム~」を行ったのである。朝の10時から夕方の6時半まで3部構成で東大本郷キャンパス内に、「東京自由大学デー&エリア」を実現したのだ。
東京大学が東京自由大学化する! これは、すごいことではないか!
まずそのPart1は、「大重潤一郎映画アワー」。大重潤一郎監督の映画『水の心』(1991年製作)と『久高オデッセイ 結章(ゆいしょう、第一部)』(2006年製作)。『水の心』はヒマラヤや山々から流れ落ちる水がどのような旅路を辿って人々の生活の場に届いているかを詩情豊かに描いた大重さんらしい、小品だが、大変格調ともののあはれとエロティシズムに充ちた名作で、わたしはこの作品が大好きである。今回初めて多くの人に見てもらったことになるが、これからも定期的に大重作品を東京自由大学で上映していければいいなと思っている。
次に、本命のPart2。これは、『久高オデッセイ 生章(せいしょう、第二部)』上映会とトークセッションである。スピーカーは、東京大学教授で宗教学者の島薗進さん、立教大学教授でアメリカ先住民研究者の阿部珠理さん、そして大重潤一郎監督。そこに、コメンテーターとして、立教大学講師で沖縄宗教文化研究者の佐藤壮広さんが加わった。
阿部さんは、子供とおばあのシーンが印象に残ったことや、それが大重監督自身の再生と重ね合わされていること、また、アメリカ先住民のラコタ・スー族の直面している問題との比較の観点から明晰に『久高オデッセイ 生章』を語った。島薗さんは、修士論文に折口信夫を取り上げ、柳田國男や折口信夫に始まる民俗学にとって沖縄や久高島がどれほど重要な土地であったかを指摘し、「沖縄の力とは何だろう?」と問いかけた。佐藤さんは、海人(ウミンチュ)と子どもたちが一緒に網の綻びを縫っている姿に今の久高島の象徴的な姿を見て取り、島の痛みと自分の痛みを重ねて映画を完成させた大重監督の今日性を浮き彫りにした。
そして、当の大重さんは、脳出血に倒れ、電動車椅子に乗って島々を回りながらカメラを回し続けた自分が「見ていた光景」は何よりも「夜明け」だったことを切々と訴えた。真っ暗な闇から青みが差し、やがてそこに赤みが混じってくる。この夜明けの光景が、繰り返し描き出されるのも『久高オデッセイ 生章』の大きな特徴だが、その背景と根っこを赤裸々に語り、強い印象と感動を聴衆に与えた。
上田紀行氏
海野和三郎氏
最後のPart3は、「楽しい世直しシンポジウム」。これは、すべて、NPO法人東京自由大学の関係者で固め、“楽しい世直しのための発想と実践、アートとスピリットの覚醒のネットワーク”をそれぞれの立場から語ってもらった。パネリストとして、妖精研究家ででケルト学研究家の井村君江妖精ミュージアム名誉館長が「妖精力と世直し」を、東京大学名誉教授の天文学者の海野和三郎NPO法人東京自由大学学長が「地球環境と世直し」を、東京工業大学准教授で文化人類学者の上田紀行さんが「仏教再生と世直し」を、それぞれの経験と論点で語った。また、チャンプルーズのリーダーの音楽家で参議院議員の喜納昌吉さんがビデオレターで「生命ルネッサンス・地球ルネッサンス」の力強いメッセージを届けてくれた。とにもかくにも、8時間半に及ぶこのNPO法人東京自由大学10周年記念特別行事は、立ち見(実際には座り見)も出るほどの盛況の中、時間不足でスピーカーの方々には十分な発言をしていただけず、またフロアーの皆さんの発言も拾うことができないという“時間との闘争”の中で苦闘を繰り広げたが、大変充実した有意義な時間と空間を創出し共有することができたと本当に有難く思う。関係各位に心からの感謝を捧げるとともに、今後の東京自由大学の使命を力強く、地道に果たしていきたいと改めて心に誓った次第である。
最後に、NHKの「人体」シリーズのディレクターで、現在NHKエンタープライズ情報文化番組を制作している高尾正克さんが、「大重監督が大変困難な状況の中で、あのような作品の完成にこぎつけられたのは、まさに奇跡的なことだと思います。本当におめでとうございました! まず、「私は見た…」でガツンとやられました。単なる表面的な演出ではなく、深い内実を伴った迫力を感じました。そして第二部では、自然の美しさが印象に残りました。(中略)大きな自然に抱かれたものとして人々の営みがたちあらわれる。さらに、表層より一歩深い時間の流れが、非常によくとらえられているように感じました。それは、直接的な言語より、気配など、非言語的な要素に耳を傾けた結果かと思います。とにかく大重さんらしさが、にじみ出た作品になったなあ、と強く感じました」と感想をメールで送ってくれ、第3部への期待を寄せてくださった。本当に心の底から嬉しさの湧いてくる感想メールであった。ありがとうございました! (鎌田東二記)
NPO法人東京自由大学ニュースレター Vol.12 より
命の時代 文化の根っこを伝えたい
人間は本来、どういう存在なのか--。映画を通して、人類の普遍を問い続けて40年。沖縄の島に、その答えを見つけた。
琉球の始祖が降臨した「神の島」と呼ばれる久高島。12年に1度行われてきた祭事「イザイホー」が1978年を最後に途絶え、伝統文化は崩壊の危機にあった。
だが、島民たちは自然の恵みに感謝し、天、海、地に祈りをささげる暮らしを続けていた。
「生命を慈しむ土着信仰は、地下水脈のようにしっかりと息づいている」。2002年に神戸市の自宅を離れて島に移り住み、12年がかりで三部作の記録映画の撮影を始めた。映画はナレーションのみ。カメラはただひたすら、大自然に育まれた島民の暮らしを追う。
「私たちの社会は、効率優先から、命の時代に入った。人々が太古から受け継いできた文化の根っこを伝えたい」。思いはただそれだけだ。
04年10月、脳出血で倒れた。右半身まひ。撮影は中断を余儀なくされた。なえそうになる気持ちを奮い立たせてくれたのは、島で見た「夜明け」だった。真っ暗な闇に次第に赤みが差していく光景が、再起を図ろうとする自身と重なった。「自然に生かされている」。そう実感した。
夜明けシーンから始まる第2部「生章」は、東京大で上映され、民俗学や宗教学の識者が埋めるホールで喝采を浴びた。これから第3部の撮影に入る。
カメラを手に、車いすで島を回りながら思う。「島に見るべきものは何もないが、どう生きるべきかを示すすべてがある」
文・鬼束信安 写真・田中勝美
(読売新聞 2009年6月26日夕刊)
3月末に、大重監督・須藤さん・亀田で関西へ行きました。
東京自由大学の春合宿、鎌田先生の新居入り、次回作の構想作りのための調べもの、監督の親しい人との再会と、実り多き関西行きでした。
(そのときの写真を、ウェブアルバム200903-関西行に掲載しています)
大阪では、”Salon de AManTO -天人-“を拠点に様々な活動をしておられるパフォーマー、JUNさんを訪ねていきました。
JUNさんのブログでそのときのことを記してくださっていますので、ぜひご覧ください。
> 「最先端と最後尾、それを繋ぐインターフェースであれ…」 (2009/4/8付 JUNさんのブログ、JUNgemより)
2009年5月5日、東京都江戸川区の「小岩コミュニティホール」で開催された「メイシネマ祭」にて、「久高オデッセイ 生章」が上映されました。
映画監督の四宮鉄男さんが、ご自身のウェブサイトでこの上映での感想を載せてくださるとのことで、文章をお送りくださいました。
ご本人に許可をいただきましたので、ここでもその全文を紹介させていただきます。
『久高オデッセイ 第2部 生章』
2009.5.5.小岩コミュニティホール
沖縄の久高島は神の島と呼ばれていた。その久高島を、大重潤一郎監督がずっと撮り続けている、車椅子に乗って。車イスのハンドルにビデオカメラを固定して取り付け、電動車イスを片手で運転して、その同じ手でカメラを操作していく。
『久高オデッセイ 第2部 生章』の冒頭は、そうした大重潤一郎監督の撮影風景だった。誰がこの映画を撮っているのかが明快になって、印象的で、感動的だった。わたしは、記録映画の製作に当たっては、誰が、どんな視点でその映画を作ろうとしているのかが明らかにならないといけないと主張している。それだけに、我が意を得たり、という気持ちもあった。
大重潤一郎監督は、数年前に脳出血で倒れ、右半身が不自由になり、懸命のリハビリで、短い距離なら自分の二本の足で歩けるほどにまで回復している。それでも、その後、癌に冒されて、ずいぶん深刻だったのに、こちらも、医師が驚くほどの奇跡的な回復をしている。
そんな大重潤一郎監督が撮った映画は、どこまでもピュアだった。よけいな感傷や、説明や、解説はなかった。きわめてシンプルな映画だった。それは、なんだろう? と考えさせられた。
大重潤一郎監督は、情熱の人だった。愛の人だった。エネルギーとバイタリティに溢れている人だった。だから、これまでの大重潤一郎監督の映画は、どちらかと言うと、思いの重さや根性で映画を作っているような面があった。
しかし、『久高オデッセイ 第1部 結章』から変わっていた。そして、『久高オデッセイ 第2部 生章』では、それが更に進化していた。それは、言葉が少しヘンなのだが、きっと、大重潤一郎監督は、人に見せる映画や人に見てもらう映画を作るのでなく、自分がその映画の中で生き、写される島人もその映画の中で生き、映画を見る人たちや、観客であるわたしもその映画の中で生きる、そういう映画を目指しているのではないかなあ、と思った。
わたしは、正直、『久高オデッセイ 第1部 結章』でもその変化を感じていたが、その意味がまだ良くは分かっていなかった。だとえば、第1部でも第2部でも、盛んに三線が掻き鳴らされ、カチャーシーと呼ばれる沖縄に独特の踊りが披露される。そして、わたしは、第1部では、その踊りシーンをもっとたくさん、もっと長く見たいと感じた。そしてそのことを、『私の映画巡礼 その78』にも書いた。でも、それは違っていたようだ。「もっとたくさん、もっと長く見たい」というのはきっと、観光客の視点なのだ。外から、たまたま短い一時期だけにそこを訪れる見物人の視点なのだ。そして、大重潤一郎監督は、そうではなくて、そこで暮らしている島人の視点で『久高オデッセイ』を撮っているのだった、だから、長々と見せる必要がなかったのだ。そこでの、踊りの中での、島人の息遣いや楽しさや祈りの気持ちが表に現われ伝われば、もうそれで、十分な時間だったのだ。そのことを、『久高オデッセイ 第2部 生章』を見る時にしっかりと感じさせられた。
カメラのフレームも静謐だった。じっと只管に、島と島人を見詰め続ける視線だった。だから、カメラはじっと動かない。島の人たちの神事は、ずかずかと近寄ることなく、そっと遠くから邪魔にならないようにして撮っている。第1部でもそうだったが、第2部ではそれがより方法化されているように感じられた。それは一方で、車イスの固定カメラからしか撮れないという制約を逆手に生かした撮り方でもあった。
イザイホーができなくなって30年経った。しかし、『久高オデッセイ』では、島ではさまざまの祭祀が暮らしの中で、丁寧に、心を込めて、催されていることが描かれている。同時に、伝統的な、海蛇のイラブー漁とその燻製作りが再開された。海ブドウやウニの養殖栽培にも挑戦している。今を生き続けていく久高島の映像が、淡々と、暮らしに寄り添いながら展開していく。そんな中で、子どもたちが、豊かな自然の中でのびのびと、大きな子も小さな子も一緒になって遊び、育っていく姿も見せてもらった。そこには、途方もない豊かさがあった。その豊かさは、先日見た記録映画『バオバブの記憶』の豊かさに共通するものだなあ、と感じた。
四宮監督のウェブサイト「愚鉄ぱらだいす」へ
http://www.geocities.jp/gutetu64/
メイシネマ祭(での上京)の写真は、数点ですがLICO写真館(2009春 道の島北行き)の中に掲載していますので、よろしければどうぞ。 → この写真からです。
以前の記事は、LICO通信記事一覧からどうぞ















